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AI解析で“高分子の化学地図”を描く技術を開発
~ポリマー成分・性能評価を短時間・低ダメージで実現~

 

《本研究のポイント》

  • ポリマー混合物を構成する成分ポリマーを無染色・ナノメートル分解能で可視化する技術を開発。
  • 機械学習による多次元データ空間での有効な記述子(物理パラメータ)抽出で解釈可能なスペクトル分類。
  • 成分間反応や熱ダメージの化学プロセスまでデータ空間で追跡・可視化。
  • この分野の標準データ処理・可視化技術としての発展に期待。

 

 

【研究概要】


 名古屋大学未来材料・システム研究所 高度計測技術実践センターの武藤 俊介 教授らの研究グループは、旭化成 梅本 大樹 氏との共同研究で、ポリマーブレンドを構成するポリマーの混合組織を異なる化学種ごとに無染色かつナノメートル分解能で可視化する技術を開発しました
 ポリマー材料は軽量で成形が容易なだけでなく、さまざまな物理特性を持つポリマーを混ぜ合わせることで所望の特性を実現できる点で“未来の材料”として期待されています。一般にポリマーは炭素を主な骨格として、酸素、窒素、水素という軽元素から成る互いに似た構造単位から成り、異なるポリマーをナノメートル分解能で区別するために従来は、重金属染色や電子損傷を避ける特殊な電子顕微鏡観察技術が必要でした。本研究グループは、名古屋大学が誇る大型電子顕微鏡(反応科学超高圧電子顕微鏡)と電子エネルギー損失分光(EELS)を用い、化学結合の特徴を表す低エネルギー損失スペクトルを使って計測時間を従来の約100分の1に短縮、試料ダメージを抑えつつ成分ポリマーの混ざり具合や化学状態を素早く地図化する方法を示しました。
 本研究の要は、「スペクトルピークの位置と強度=指紋」から各相を区別・分類するために最も重要な少数の指紋(記述子)を抜き出し、機械学習で整理することです。実用材料に適用すると、特徴量の分布から「混練での化学変化やブレンド処理による劣化傾向」が見えてきます。多次元の特徴量空間に全データをプロットすると、成分のまとまり方やばらつきが色分け表示され、界面反応層の可能性や各成分の変性の度合いを総合的に評価できます。
 染色に頼らず、短時間・低ダメージで“ポリマーの化学地図”を描ける本手法は、製品設計の早期段階で混ざりや界面の健全性を確認したり、リサイクル材の品質ばらつきを見極めたりするのに役立つ標準分析法になると期待されます。
 本研究成果は、2025年8月27日付国際科学雑誌『Polymer Testing』に掲載されました。

 

【研究背景と内容】


 省エネルギーを指向して、軽量で成形が容易な素材であるポリマーおよびそれらをブレンドしたポリマーアロイ(ポリマーブレンド)は、混ぜ合わせるポリマーの種類によってさまざまな特性を発現させる可能性を持ちます。このポリマー混錬(アロイ化)によるマクロ特性は、下部組織や混錬過程で生じる変性などに強く依存することが予想されます。構成元素が互いに似通った異種ポリマーの下部構造をナノメートルレベルの分解能で可視化するためにこれまで電子染色、位相板を使った位相差TEM注1)、微分位相差コントラスト、EDS注2)/EELS注3)元素マッピングなどの手法が提案されていますが、組織だけでなく各部の異なるポリマー種判別、相界面での反応相の有無などの重要な情報が欠けていました。

 一般にポリマー分子の構造単位であるモノマーには、炭素、酸素、窒素、水素などの軽元素間の化学結合としてσ一重結合、π二重結合、ベンゼン環における共役結合などの情報が炭素の内殻励起スペクトル(コアロス(Core-Loss)注4))微細構造(C K-ELNES)に現れることは知られており、EELSがポリマー種の同定に有効です。しかしスペクトル記録中のナノ電子プローブ照射による組織変性、場合によっては容易に試料が穿孔されることがこの方法の応用を阻んできました。電子照射に対して脆弱な試料のEELSによる化学分析は、照射量とスペクトル強度及び信号/ノイズ比とのトレードオフによって制限されます。そこでコアロスに比べスペクトル強度が二桁以上強い数~40 eVにわたる低エネルギー損失側のスペクトル(ローロス(Low-loss)注5));Low-loss)を利用することで測定時間を大幅に減少させて損傷を抑制することを試みました。

 Low-lossには図1に示すようにポリマー分子特有の化学結合情報(C-C一重結合、C=C共役・非共役二重結合、ベンゼン環など)がブロードなピークとして現れます。3種類の成分ポリマー単体の標準試料とこれらを混錬したポリマーアロイの全スペクトルに対し、図2に例示したように8本のガウシアン+バックグラウンドモデルによってすべてのLow-lossスペクトルをフィットし、体積プラズモンピークから低エネルギー側の化学結合種と紐づけのできる4本のピークに、ピーク位置、ピーク半値幅、及び全スペクトル強度に対するピーク面積割合を抽出しました。

図1:アロイ化する三つのポリマー種の基本化学構造とそれぞれのLow-loss領域のスペクトル。

図2:あるポリマーから取得したLow-loss領域スペクトルのピークフィット例。

 

 混錬前の標準試料から取得したスペクトルデータに対して代表的なデータ分類法であるサポートベクターマシン(SVM)注6)等を適用し、全12個のパラメータに対して、ポリマー種分類の重要度の順位付けを行いました。その結果二重結合と体積プラズモンピークに関する4つが各ポリマー種をスパースなクラスターへと分類する記述子であることが分かりました。

 本来4次元データ空間でのプロットですが、紙面での表示のために、C=C二重結合の変化に注目したプロットの結果を図3(a)に示します。図中に矢印で示したように、アロイ化によって各成分ポリマー種は主に二重結合の割合が増えていくように熱変性することを読み取ることができます。またデータの持つ統計精度の範囲内で、ポリマーアロイを構成する独立な成分数は3であり、界面反応相は生成されていないことまで明確に結論づけられます。最終的に、各クラスターの重心を純成分スペクトルとし、重心からの距離によって異相間の重なりをRGB強度で表示したマッピング像を図3(b)に示します。

図3:
(a) 三種類のポリマーとそれらをブレンドした試料(点線楕円で囲った領域)のデータ空間でのクラスター分類結果。これによってブレンド過程で成分ポリマーは熱変性していることが読み取れる。
(b) ポリマーブレンドのクラスターを基にその空間分布を色分け表示したもの。

 

 

【成果の意義】


 ここで実施した分光スペクトルのクラスター分類による可視化手法は、簡便で電子染色などの前処理が不要なだけでなく、これまでこの分野で利用されてきた次元削減スペクトル分解法注7)の最大の問題である有効な成分数決定を統計的に曖昧さなく決定することができ、物理化学的な解釈が容易であるという従来法に無い利点があります。このことからアロイ化過程での予見できない化学結合変化や界面反応の有無まで追跡評価できるため、今後ポリマーアロイのナノスケール下部構造及び性能評価の標準解析法となり得ます。 また今後さらに高感度検出器の導入によって、このような電子線に脆弱な材料の実質的無損傷分析にまで発展することが期待されます。

 

本研究は、2021-2022年度JSPS科学研究費挑戦的研究(萌芽)『ポリマーブレンド構成成分の無染色三次元イメージング技術の開発』(代表:武藤)、2021-2024年度基盤研究A『ナノ電子プローブ実・逆空間走査による統合データ駆動型材料物性解析』(代表:武藤)、および文部科学省「マテリアル先端リサーチインフラ」事業(課題番号 JPMXP1223NU0021)『STEM-EELS-SIによるポリマーアロイの成分分布解析技術の構築』の支援のもとで行われました。

 

【用語説明】


注1)TEM:
 透過電子顕微鏡(Transmission Electron Microscopy)の略称.試料に電子ビームを照射し、透過した電子を結像して拡大像を得る装置。細く絞った電子ビームを試料上で走査して、各点からの散乱電子によって結像するTEMを走査TEM(STEM)という。(↑ 本文に戻る)

注2)EDS:
 エネルギー分散X線分光法(Energy Dispersive X-ray Spectroscopy)の略称。EDXともいう。電子線やX線などの一次線を物体に照射した際に発生する特性X線(蛍光X線)を半導体検出器に導入し、発生した電子-正孔対のエネルギーと個数から、物体を構成する元素と濃度を調べる元素分析手法。(↑ 本文に戻る)

注3)EELS:
 電子エネルギー損失分光法(Electron Energy Loss Spectroscopy)の略称。物質に電子線を照射し、非弾性散乱によるエネルギー損失を測定することで元素分析や状態分析をする手法。(↑ 本文に戻る)

注4)コアロス(Core-Loss):
 EELSスペクトルにおいて、内殻電子励起に伴うエネルギー損失ピークのことで、試料中に含まれる元素組成および化学状態を知ることができる。(↑ 本文に戻る)

注5)ローロス(Low-loss):
 EELSスペクトルにおいて、損失エネルギーが数~40 eVの低エネルギー領域のスペクトル。価電子励起(バンド間遷移、プラズモンなど)、フォノン、チェレンコフ放射などの素励起に由来するピークが現れる。(↑ 本文に戻る)

注6)サポートベクターマシン(SVM):
 教師あり学習を用いるパターン認識モデルの1つで、クラスター分類や回帰へ適用できる。現在知られている手法の中でも認識性能が優れた学習モデルの1つで、未学習データに対して高い識別性能を得るための工夫がなされている。(↑ 本文に戻る)

注7)次元削減スペクトル分解法:
 主に数学や物理学の分野で使われる考え方で、データや信号を複数の簡単な成分に分解することで、それぞれの成分の性質や影響を知ることが可能になる数学的手法。主成分分析(PCA)や非負値行列分解(NMF)など、データの性質や目的に応じてさまざまなアルゴリズムが開発されている。(↑ 本文に戻る)

 

【論文情報】


雑誌名: Polymer Testing
論文タイトル: Interpretation-Enhanced Chemical Mapping of Polymer Alloys Using Low-Loss Scanning Transmission Electron Microscopy-Electron Energy Loss Spectroscopy Cluster Analysis
著者: Hiroki Umemoto, Shigeo Arai, Shunsuke Muto
DOI:10.1016/j.polymertesting.2025.108961
URL:https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0142941825002752?via%3Dihub

 

 

 

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研究者連絡先


東海国立大学機構 名古屋大学
未来材料・システム研究所
教授 武藤 俊介(武藤研究室
E-mail: smuto[at]imass.nagoya-u.ac.jp ※メール送信の際は[at]を@に置き換えてください。